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久しぶり!
そう言えば、『鞍馬天狗』もとっくに終わってしまった。 それはさて置き、拙ブログにも時々コメントを下さるあさくらゆう氏の ブログを読んでビックリした。 とりあえず、ココ を読むべし! 『隊長、近藤勇が処刑される前に使った偽名「大久保大和」』 って、なんじゃ~~~い!? ま・・・、毎日新聞よ! なんちゅういい加減な記事を出しているのだ!!!! 近藤と親交があったとも言われている東京日日新聞(毎日新聞の前身)元社長・福地桜痴もあの世で呆れているであろう。 「偽名」という認識が、記事を書いた江森敬治記者のものなのか、それとも日野市立新選組のふるさと歴史館文化財担当・藤井和夫氏のものなのかは判らないが、もう少し、下調べをしてから記事にして欲しかった。 がっくり。 ホント、死者を辱める行為は止めて頂きたい。 |
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桐野作人が連載中の「さつま人国誌」にて、新選組隊士でもあった富山を取り上げている。
幕末維新史に造詣が深く、史料を駆使した緻密な論証でファンも多い執筆者だけに、この文字数では書ききれない事が沢山あったのではないかと推測するが、それは別の発表の機会を待つこととして、ともかく、こういったマイナーな隊士が取り上げられるのは、大変、良い事であるように思う。近藤・土方・沖田だけが新選組ではないからだ。 富山は、更なる解明が進んで欲しい隊士の一人である。要するに、なぜ新選組に入隊したのか?という部分について、様々な解釈が出来るからだ。 しかし、如何なる動機で入隊したにせよ、富山が他の新選組隊士同様、「武士の世界のエリート」ではなかったことだけは確かだろう。 豊臣秀吉などの一部例外を除き、日本史のメインストリームは、長きに渡って、貴種やそれに縁するエリート達によって紡がれてきた。幕末というのは、政治の世界に、貴種でもエリートでもない人間が大挙して殴りこみをかけた、おそらく初めての時代だろう。 だが、殴りこみは殴りこみである。彼等の多くは(全てではない)「草莽の志士」という、不安定な立場で活動するしかなかった。新選組や陸援隊等、結社や集団に属してみても、それは本流から遠い組織でしかなかった。 幕末はまだ江戸時代である。日本列島の行く末に対する決定権は、相変わらず貴種やエリート達が独占し、そこに入り込む隙間が無かったわけではないが、開いていないに等しかった。災難は、日本列島に住む者全てに降りかかるにも関わらず、である。 結局、江戸時代が終わるまで、「草莽の志士」達は、事態の最前線で「やらかし」をする役割しか、体制側からは期待されていなかったように思う。体制側はこの「やらかし」を巧みに利用し、事を運んだ。 薩摩藩の間者であったとの説がある富山も、何故、その様な仕事をせねばならなかったのかは不明だが、その様な仕事しか与えられなかったと考えるのは、あながち的外れではあるまい。 池田屋事件を「同士討ち」と評したのは『新選組』(岩波新書)を書いた松浦 玲だが、その池田屋事件というものも一種の「(暗に期待された)やらかし」だったのではないかという疑念が、最近、当方の脳裏から離れない。 この「やらかし」は、その後、八・一八の政変へと繋がってゆく。従来、池田屋事件は「新選組の暴走」の一言で片付けられ、深く追求されてこなかった。 事件の関係者が新選組と宮部てい蔵らの「草莽の志士」達であったという点も、深く追求されなかった一因かもしれない。 しかし、幕末という時代を見れば見るほど、「草莽の志士」達の背後には、いつも蠢く何者かの影がちらつく。彼らの軽い身分や不安定な立場とそれに反比例する情熱につけこみ、うまく利用しようとする何かである。 だが、その「何か」が批判に晒されることはない。いつも非難され、悪者の烙印を押されるのは、例えば新選組であり、例えば虫の如く死んでいった「草莽の志士」達なのである。 新選組ファンは宮部らを悪漢扱いし、宮部らの肩を持つ人達は新選組を暴力集団であると罵倒する。彼等は新選組の背後や宮部らの背後を見ようとはしない。メディアもまた、その背後を注視せよとは言わないのである。 近藤 勇の刑死についても同様である。これも典型的な「弱い立場の者(陸援隊上がり)が更に弱い立場の者(近藤)を裁く」というケースであるように思うが、弱い立場が存在するならば強い立場も存在する、という当たり前の事を念頭に置いてこの事件を眺める人間は少ないように思う。近藤の刑死だって、見方によっては「同士討ち」であると言うのに。 (陸援隊出身の田中光顕は、晩年、近藤書簡を目にし、属した勢力が違っただけという趣旨の感慨を漏らしている。) 富山もまた、間者であった可能性が高いと言われるだけに、新選組ファンの中には悪印象を持つ人もいるようだが、見つかれば即死の可能性も高いスパイという仕事を引き受けざるを得なかった者を生み出した社会構造の歪さから目を逸らしてはいけない。 そして、新選組もまた、この時代の社会構造の歪さが生み出した存在であることを、本格的に研究する人が現れると良いなあ…と思うこの頃である。 【この記事を読んだ人にお薦めの過去記事】 近藤を死に追いやったのは誰か |
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