いい加減なもんだ!
 久しぶり!
そう言えば、『鞍馬天狗』もとっくに終わってしまった。

 それはさて置き、拙ブログにも時々コメントを下さるあさくらゆう氏の
ブログを読んでビックリした。

とりあえず、ココ を読むべし!

『隊長、近藤勇が処刑される前に使った偽名「大久保大和」』

って、なんじゃ~~~い!?

ま・・・、毎日新聞よ!
なんちゅういい加減な記事を出しているのだ!!!!
近藤と親交があったとも言われている東京日日新聞(毎日新聞の前身)元社長・福地桜痴もあの世で呆れているであろう。

「偽名」という認識が、記事を書いた江森敬治記者のものなのか、それとも日野市立新選組のふるさと歴史館文化財担当・藤井和夫氏のものなのかは判らないが、もう少し、下調べをしてから記事にして欲しかった。
がっくり。
ホント、死者を辱める行為は止めて頂きたい。
【2008/04/14 01:52 】 | 幕末&新選組 | 有り難いご意見(6) | トラックバック(0)
ドラマ流し観
 今頃という声をものともせず、

「明けましておめでとうございます!」

などと、軽く挨拶したところで、最近、ネタ切れで書くことが無くなってきていることを理由にこのブログの更新を怠っていたが、心機一転、「TV」というカテゴリーを追加したので、テレビで放送された歴史番組・情報、特に幕末維新関連を主軸に、このブログで書いて行こうと思い立った。

 なにしろ、世は『篤姫』ブームである。篤姫という名前の焼酎まで売り出されている昨今である。このブームに乗らない手は無いだろう!
と、言っても、新選組サイトで何が篤姫じゃい!という感も無きにしもあらず・・・。だいたい、『篤姫』って所詮はドラマだし。
 いやいや、ドラマも含めて、テレビに出てきた幕末維新ネタは拾ってゆこう!という趣旨にしたのだ。
ちょうど、NHKの木曜時代劇で『鞍馬天狗』も放送中であるし。

 この『鞍馬天狗』、あまりのダブルスタンダードぶりに悶絶必然の内容だが、アラカンの鞍馬天狗を観ていた世代はどう思っているのだろう?
アラカンを知らない世代の当方などは、「この21世紀に鞍馬天狗をやるのは、かなり無理があることなんだな~。」などと思いつつ録画したものをまったり観たが…。
 というか、主役であるはずの鞍馬天狗が全然カッコ良く見えない。少なくとも当方には、全くヒーローに見えない。新選組愛好家であるという点を差し引いても、近藤 勇の方がカッコ良く描かれているような気がする。NHKよ、それでいいのか!?

 そう言えば、どこかのブログに、アラカンの鞍馬天狗が放映されていた頃は、子供達のチャンバラごっこにおいて近藤役をやりたがる子が一定数いたという話が書いてあった。ドラマの中では悪役であったにも関わらず、新選組隊士役をやりたがる子も結構いて、子供達の仲間内で弱虫認定されている子は新選組に入隊が認められない…等の措置があったらしい。
 つまり、『ガンダム』におけるシャア&ジオン軍みたいな扱いだったようだ。
そう言えば、ガンダム本体よりも数倍、シャアの赤ザクに憧れる子供達が、ガンダム放映時にいたのも事実だ。ガンタンクよりも、グフとかの方がそそられた。

 しかし、『鞍馬天狗』には、『ガンダム』のような哲学性は無い。そこは、やはり、大衆時代劇であるので致し方ない。
しかし、大衆時代劇だから…というセオリー主義で哲学性を排除するがゆえに、内容的に薄っぺらくなってしまうのである。
現代において、時代劇そのものが凋落傾向にあるのは、おそらくそのためであろう。哲学性や精神性を備えた人間ドラマを観て来た人々は、チャンバラ劇では満足出来ない。
しかし、時代劇に哲学性や精神性を加味すると、昔ながらの時代劇が好きないわゆる「時代劇ファン」からソッポを向かれてしまう。
両者を満足させる時代劇を作るのは至難の業だろう。

 そういった事を考えると、今更ながら大河の『新選組!』が、あえて「時代劇ファン」に全く配慮しない様な作りに徹したのもわからなくもない。三谷幸喜を脚本に据えた時点で、現代劇の感覚のものを幕末という時代設定でやるドラマという方向性は明白だった。
今更だが、NHKのこの選択、当方は良かったと思っている。『鞍馬天狗』を観て、尚更そう思う。
 この先行き不透明な時代に、完全無欠のヒーローを信じられるほど、人は無垢ではない。
【2008/01/24 23:32 】 | TV | 有り難いご意見(4) | トラックバック(0)
大徳川展
 遅ればせながら観て来た「大徳川展」。想像していた以上に幕末関連の物が展示されていた。
例えば・・・

・孝明天皇勅諚
・慶喜筆大政奉還勅許写
・慶喜将軍辞職の沙汰書
・和宮婚礼調度品
・ロッシュ書状

などなど、幕末ファンにもかなり興味深い数々が展示されていた。

 中でも、個人的に感銘を受けたのは、孝明天皇が慶喜に下賜した太刀。例の、征長絡みで慶喜がもらってしまった太刀である。

 勿論、家康ゆかりの品々なども沢山あり、歴史オタクが思わずうっとりするの品々が展示されていた。展示品の数も多く、しっかり堪能しようと思ったら、見て回るのに半日はかかるであろうボリュームだ。

 開催期間は明日までなので、未だ見ていない方は、上野・国立博物館へぜひ足を運ばれたし!
【2007/12/01 23:57 】 | 歴史うんぬん | 有り難いご意見(0) | トラックバック(0)
新選組を肴に
 新選組好き数人の集まりがあった。
当方も参加させて頂き、新選組や幕末維新史、業界事情などを肴に旨い酒を呑ませてもらった。

 参加者全員が心配していたのは、やはり某市にある某資料館のことだった。いやもっと具体的に言うと、そこに所蔵されている書翰類についてだった。
以前からここでもチラチラと言及し、他サイトでも時々同趣旨のことが書かれていたのを何度か目にしたが、とにもかくにも、近藤勇書翰集を一日も早く出して欲しいというのがその飲み会における総意だった。
諸事情があるのは百も承知だが、翻刻せずとも写真集で良いし、商業ベースに乗せようなどとしなくて良いから、出して欲しい。
大儲けは期待出来ないが、近藤書翰集なら出して赤字になることもないだろう。
ともかく、書籍化することに意義がある。それが第一歩と言っても良い。
なんとか、考えて欲しいものだ。

 その他、地方自治体内の内紛が学術関係や博物館に及ぼす影響や、地方自治体と観光業の話など、新選組や幕末維新史に絡み、目から鱗の話もあった。
聞きながら、近頃、幕末維新史研究の分野では、新選組にも関連のある研究が次々と発表されているというのに、それに比べて・・・と思うことしきり。派閥や利権やしがらみ、あるいは商売といった類にうんざりする。
当方としては、そういった世俗の動きはとりあえず放置し、近藤勇書翰集の出版実現を訴えていくことこそ後世のためであると、一新選組愛好家として確信した次第である。

 小島さん、御願いしますよ!
【2007/10/08 00:42 】 | 幕末&新選組 | 有り難いご意見(7) | トラックバック(0)
富山弥兵衛
 桐野作人が連載中の「さつま人国誌」にて、新選組隊士でもあった富山を取り上げている。
幕末維新史に造詣が深く、史料を駆使した緻密な論証でファンも多い執筆者だけに、この文字数では書ききれない事が沢山あったのではないかと推測するが、それは別の発表の機会を待つこととして、ともかく、こういったマイナーな隊士が取り上げられるのは、大変、良い事であるように思う。近藤・土方・沖田だけが新選組ではないからだ。

 富山は、更なる解明が進んで欲しい隊士の一人である。要するに、なぜ新選組に入隊したのか?という部分について、様々な解釈が出来るからだ。
 しかし、如何なる動機で入隊したにせよ、富山が他の新選組隊士同様、「武士の世界のエリート」ではなかったことだけは確かだろう。

 豊臣秀吉などの一部例外を除き、日本史のメインストリームは、長きに渡って、貴種やそれに縁するエリート達によって紡がれてきた。幕末というのは、政治の世界に、貴種でもエリートでもない人間が大挙して殴りこみをかけた、おそらく初めての時代だろう。
 だが、殴りこみは殴りこみである。彼等の多くは(全てではない)「草莽の志士」という、不安定な立場で活動するしかなかった。新選組や陸援隊等、結社や集団に属してみても、それは本流から遠い組織でしかなかった。
幕末はまだ江戸時代である。日本列島の行く末に対する決定権は、相変わらず貴種やエリート達が独占し、そこに入り込む隙間が無かったわけではないが、開いていないに等しかった。災難は、日本列島に住む者全てに降りかかるにも関わらず、である。

 結局、江戸時代が終わるまで、「草莽の志士」達は、事態の最前線で「やらかし」をする役割しか、体制側からは期待されていなかったように思う。体制側はこの「やらかし」を巧みに利用し、事を運んだ。
薩摩藩の間者であったとの説がある富山も、何故、その様な仕事をせねばならなかったのかは不明だが、その様な仕事しか与えられなかったと考えるのは、あながち的外れではあるまい。

 池田屋事件を「同士討ち」と評したのは『新選組』(岩波新書)を書いた松浦 玲だが、その池田屋事件というものも一種の「(暗に期待された)やらかし」だったのではないかという疑念が、最近、当方の脳裏から離れない。
この「やらかし」は、その後、八・一八の政変へと繋がってゆく。従来、池田屋事件は「新選組の暴走」の一言で片付けられ、深く追求されてこなかった。
事件の関係者が新選組と宮部てい蔵らの「草莽の志士」達であったという点も、深く追求されなかった一因かもしれない。
 しかし、幕末という時代を見れば見るほど、「草莽の志士」達の背後には、いつも蠢く何者かの影がちらつく。彼らの軽い身分や不安定な立場とそれに反比例する情熱につけこみ、うまく利用しようとする何かである。
だが、その「何か」が批判に晒されることはない。いつも非難され、悪者の烙印を押されるのは、例えば新選組であり、例えば虫の如く死んでいった「草莽の志士」達なのである。
新選組ファンは宮部らを悪漢扱いし、宮部らの肩を持つ人達は新選組を暴力集団であると罵倒する。彼等は新選組の背後や宮部らの背後を見ようとはしない。メディアもまた、その背後を注視せよとは言わないのである。

 近藤 勇の刑死についても同様である。これも典型的な「弱い立場の者(陸援隊上がり)が更に弱い立場の者(近藤)を裁く」というケースであるように思うが、弱い立場が存在するならば強い立場も存在する、という当たり前の事を念頭に置いてこの事件を眺める人間は少ないように思う。近藤の刑死だって、見方によっては「同士討ち」であると言うのに。
(陸援隊出身の田中光顕は、晩年、近藤書簡を目にし、属した勢力が違っただけという趣旨の感慨を漏らしている。)

 富山もまた、間者であった可能性が高いと言われるだけに、新選組ファンの中には悪印象を持つ人もいるようだが、見つかれば即死の可能性も高いスパイという仕事を引き受けざるを得なかった者を生み出した社会構造の歪さから目を逸らしてはいけない。
そして、新選組もまた、この時代の社会構造の歪さが生み出した存在であることを、本格的に研究する人が現れると良いなあ…と思うこの頃である。



【この記事を読んだ人にお薦めの過去記事】

近藤を死に追いやったのは誰か
【2007/08/27 21:48 】 | 幕末&新選組 | 有り難いご意見(0) | トラックバック(0)
前ページ| ホーム |次ページ

ブログパーツ 忍者ブログ