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有り難いご意見
同感です
アートネイチャーとリーブ21のたとえ話には笑ってしまいました(笑)。しかし、同感です。

新選組も池田屋で死んだ志士たちも、どちらも攘夷論者だったという共通点があります。どちらも、その共通点である「攘夷」の実現に向けて動き始めた部分まで共通しています。もちろん、「攘夷」という言葉をどのように解釈するか、どのように実現するかという点で異なる面があったのは確かでしょうが、そのような「違い」を強調し過ぎて、根本的には「同じ」考え方から派生した点を見落としてはならないと思います。

もちろん、それは幕末のどの局面でも当てはまることだと思います。思うに、「討幕派VS佐幕派」とか、「正義派VS俗論派」とか、「尊王攘夷派VS公武合体派」とか、そのような単純な二項対立的見方も、個々の人物・組織がどちらかに当てはめられて「違い」を必要以上に強調する上で、一役買ってしまっている気がします。
【2007/01/27 10:18】| URL | パルティアホースカラー #9917c37df7 [ 編集 ]
ははは
なのに、なんで「左幕」(左翼)と「勤王」(右翼)?
と、時代によって扱いが変わるのも面白いものです。
 単純明解に「殺されてよかった」とは書かないでしょう。
 まぁ、実際に「日本史」のなかにある「幕末」のジャンルの「佐幕側」の細目の、さらに微細目のジャンルが「新選組」であり、その微細目のなかの出来事など日本史全体からは確かに瑣末な出来事でしょう。教科書に新選組が掲載されないのも当然ですね。奇兵隊との違いは革命に関与したかしないかにより、直接新選組が革命に関与したという記録がない以上、瑣末なのです。
「負」の美学という、日本人意識が新選組人気の原動力ですが、史学的には……。
【2007/01/27 12:18】| URL | 当時の管理人 #92cd5be2ba [ 編集 ]
ごめん
おなじ忍者ブログを使っている関係で、とあるブログの名称が使われてしまいました。
失礼いたしました。
【2007/01/27 12:19】| URL | 遊び人 #92cd5be2ba [ 編集 ]
表層と根底
パルティアホースカラーさん、コメントを頂きありがとうございます。

>どのように実現するかという点で異なる面があったのは確かでしょうが

 確かに、手段や方法は違っていたわけですが、そういった手段や方法というのは、ある意味、表層部分だと思うのです。
表層の差異も大事ですが、根底も大事、という思いがあったものですから、今回、こんな記事を書いてみました。

>そのような単純な二項対立的見方も

 二項対立的見方というものは、私も危惧しています。実際の世の中は、勧善懲悪の時代劇のように、明確に正義の味方と悪人が分かれているわけではありませんから、単純な対立概念で歴史を捉えると、見逃してはいけない部分が見えなくなってしまうのではないかと思います。
【2007/01/27 22:41】| | くるす #92d83c5454 [ 編集 ]
クルスの場合
当時の管理人さん(遊び人さん)、コメントを頂きありがとうございます。

>なのに、なんで「左幕」(左翼)と「勤王」(右翼)?

 私の場合、佐幕は左翼ではないと思ってます。幕末のあの時代、現代の「左翼」 に通じる人達をあえて挙げるとしたら、積極開国派の人達ではないかと思います。しかしこれも、本来の共産主義者としての「左翼」ではなくて、現代で言ういわゆる「地球市民」的発想を持ち得た、という意味合いでの「左翼」なんですけども…。
 積極開国派の人は幕府内にもいましたが、諸藩や朝廷にもいましたし、積極開国派の人達は別に幕府を最後まで助けようとしていたわけでもないので、佐幕=左翼ではないと私は思っています。

 一般的に「勤王」の対義語は「佐幕」と言われていますが、この考え方は、私はちょっと違うのではないかと思っています。これは書き出すと長くなるので省きますが、宮地正人氏なども「東国勤王派」という言葉を使っていますが、例えば、天皇の為に働く事(=王事に勤める)の一つが幕府の為に働く事だと思っていた人がいた場合、この人を全く勤王要素が無いと言い切ることは出来ないと思うのです。
私が今回使った「右翼」という言葉は、「天皇の為に働くという意識があった人」という意味なのです。

 また、私の場合、新選組にしろ他の組織・人物にしろ、「佐幕」「勤王」とゆうジャンル分けは、あまり意味がないと思うのでしていないのです。


【2007/01/27 23:04】| | くるす #92d83c5454 [ 編集 ]
無題
 幕末史においては「右か左か」という二極思想論はあまり意味を持たないと私も思います。もともと天皇を頂点とする日本の武家社会では「左」の思想が無く、この思想は開国によって国外から持ち込まれる事で日本に広まっていきます。最たる例が自由民権運動という事になりますが、この運動が幕末では行われず、明治時代になってから行われたところを見ると、幕末時期にはまだ思想としては先進的過ぎて理解できる日本人が少なかったものと思っています。
 でも、まったくいなかった訳ではなく、福井藩の松平春嶽や勝海舟などが議会制導入を真剣に提言していますから、彼らは比較左寄りといえますが、それでも「国民ではなく、大名だけの議会制」で、左だと断言できない部分があるですよ。
 私はそう考えているので「幕末期の日本には右翼しかいない」と思っています(笑)。
 明治期に入り、外国の文化や交流が深まり、政治も議会制となると「国民の権利」なるものも日本に持ち込まれ、自由民権運動に発展する訳ですが、それでも西南戦争の時に朝鮮出兵を掲げる右派に国民主権を掲げる左派が連合して新政府軍と戦っています(苦笑)。

 尊王と佐幕のニ極論もまえまえから言われていますが、これを単純な対立構造として説明してしまうのは危険だと私も思います。
 公武合体思想で、この尊王と佐幕の両立を目指してますし。それに、攘夷や開国といった対外思想を含めて考えないといけないと思っています。
 新撰組の近藤勇は「攘夷」で、芹沢や伊東も「攘夷」派なので組織的には問題ないですし。一般的に佐幕派とされる幕臣の山岡鉄舟や将軍である徳川慶喜もその実態は尊王家です。山岡なんて攘夷派でもあるから、清河八郎と組んで浪士隊作ってますから。
 尊王と佐幕は対立するものではないと私も考えています。
 ただ、戊辰戦争により「恭順し明治政府に従う者=尊王」「明治政府を認めず(天皇を認めるか認めないかではないのがミソ)、徳川家に温情を寄せる者=佐幕」といった感じで、この二つの言葉が敵味方を分ける言葉として使われてしまい、それが現在まで続いているのだと思います。
【2007/01/28 12:42】| URL | まりも #29ef20e6db [ 編集 ]
商業主義
まりもさん、コメントを頂きありがとうございます。

>私はそう考えているので「幕末期の日本には右翼しかいない」と思っています

 本当にそうですよね。小御所会議みたいな革命会議が行われても、「この際だから、天皇なんて無くしちゃえ!」とは絶対にならないわけですから。
 天皇がいない形態よりも天皇を頂点とした国の在り方を良しとしたという部分を見ると、「国の在り方」に関する思想は完全に「右翼」でしょうね、当時の人々は。
 ただ、社会形態や経済構造に関しては、社会主義的な部分や共産主義的部分も見受けられるので、そっちの方面では必ずしも「右翼」ではなかったのかもしれませんね。

>尊王と佐幕のニ極論もまえまえから言われていますが、これを単純な対立構造として説明してしまうのは危険だと私も思います。

 私が一番問題だと思うのは、単純な対立構造が商業主義のもとで拡大再生産されることですね。
その「対立」しているものが、真に対立していたのならまだ救われますが、「尊王」と「佐幕」の場合、まりもさんがおっしゃる通り厳密には対立概念ではないんですよね。
それを対立したもとして自己正当化した倒幕派は、問題はあるものの当事者なのでまだ許せますが、当事者でもないのに煽っている現代人の存在は、全くもって理解不能です。


【2007/01/29 02:58】| | くるす二等兵 #92d83c5454 [ 編集 ]
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