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有り難いご意見
お待ちしてました
くるすさん、こんにちは、典です。

とうとう「御祭草紙」をアップされたんですね。
お待ちしてました。
それもかなりの行数を抜粋してくださっているので、とても状況が分かりやすかったです。
ただ、「土方」の名前の後についている「衲叟」というのがイマイチ読みも意味も不明なのが自らの浅学さを露呈しているようでお恥ずかしい限り。
一応手持ちの漢和辞典は引いたのですが、「衲」という字すら載っていなかったです。
つ、使えん!

しかし、こうしてみると流山はまだまだ秘められた事実が多いですね。
前々からあの一件には「謎だー、謎だー」と首を捻ることしきりだったのですが、この記事を読んでストンと一つ胸に落ちるものがありました。
「どんな手を使ってでも、生きろ!」とは大河・48話「流山」での歳三のセリフですが、もしかしたら本当は歳三ではなく局長が発した言葉だったのかもしれないなぁ、とちょっとだけロマンチ(笑)になったりも。
調査&公開、大変お疲れ様でした。
【2006/03/03 14:00】| | 典 #986c3fc462 [ 編集 ]
コメント有難うございます
典さん、有り難い御意見、恐縮です。

 私も「衲叟」については判りません。「叟」という字は翁に似た意味だということくらいしか知りません。

 総督府へ大久保大和自身が出向いて説明するという案自体は官軍側の提案でした。しかし、鎮撫隊であると官軍を言いくるめよと言い出したのは土方ですから、本当はその役を土方自身がやりたかったのではないか?と、想像する時がありました。官軍に渡邊九郎左衛門のような人間が混ざっている事は想定外だったでしょうし、自分だったらそれをやり遂げられるかもしれない…、少なくとも近藤よりは上手くやれるかもしれない…、というような思いが土方にはあったのではないかと思うのです。それは、流山の新選組本陣に官軍が来た際、土方が最初に応対したことからも伺えます。
ですので、自分が総督府へ行かねば、という意志は土方の中にあったのではないか?と私は密かに考えていたのです。

 それで『御祭草紙』を読んだものですから、「ああ、やっぱり!」となったのです。勿論、この西村捨三の記述の傍証となる史料がないので、真実かどうかはわかりません。しかし、12日の鴻ノ台の脱走軍集結に参加するまで何をしていたのか不明な土方が、総督府へ乗り込む策を練っていたとしても不思議ではないように思えるのです。

【2006/03/03 22:49】| | くるす #99043ebb16 [ 編集 ]
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